2024年 3月の星空を撮る




暁天の大接近 明けの明星(金星) と 土星 - 池田山山麓 -







暁天の大接近を撮る 明けの明星(金星) と 土星 -池田山山麓-


東の暁天に金星と土星が大接近する。最接近は3月22日で、0.5度未満まで接近する。満月の幅ほどの間に2つの惑星が入るという超大接近である。問題は天候と、もう一つ、春霞。せっかく晴れていても空気の透明度が低ければ、よどんだ低空に惑星そのものが見つけられない恐れがある。また高度は大変低くて2度未満という、超低空。金星は明るいので見つかるだろうが、問題は土星だ

05時頃から東の地平線を睨む。冬と違って3月の空は、低空はやはりよどんでいる。明るくて簡単に見つかるはずの金星でさえ、見つけるのに苦労する。これは双眼鏡が必要だな
じっと見ていると金星の輝きが分かるようになり、その下に土星があるはずとじっと見続ける。撮影データをカメラのモニターで見ると、ようやく見つけることができた。モニターと空を見比べでは2惑星を追いかける。空が明るくなるにつれ、それに反して土星は空に埋もれていく。今回の観望条件は極めて厳しかったが、何とか2惑星を撮ることができたことだけで満足するしかない

3月25日は水星が東方最大離角を迎える。東方最大離角だから夕方の西の低空。ポンス・ブルックス彗星と同じように24時間操業する石灰工場の排煙が邪魔をするので、いつもの場所からは難しそう。残念

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100mm、ISO200、f5.6、1/2秒、マニュアルWB、Raw
高感度NRはoff、長秒時NRはoff、池田山山麓
SONY α7RM5 + FE 100-400mm F4.5-5.6 GM OSS

2024年3月22日05時23分









ポンス・ブルックス彗星(ポン・ブルックス彗星) (12P /Pons-Brooks)







ポンス・ブルックス彗星(ポン・ブルックス彗星)(12P /Pons-Brooks) を撮る -揖斐谷-


ポンス・ブルックス彗星(ポン・ブルックス彗星)は1812年にフランスの天文学者ジャン=ルイ・ポン(Jean-Louis Pons)によって発見され、1883年には偶然にウィリアム・ロバート・ブルックス(William Robert Brooks)によって発見された2つの彗星が、後に同一のものであることが確認された。公転周期70.06年の周期彗星で、ハレー型周期彗星に分類される。前回の近日点通過は1954年5月22日、今回の近日点通過は2024年4月20日と計算されていて、次回は2095年8月10日、その次は2167年8月24日と考えられている

ポンス・ブルックス彗星の軌道傾斜角は74.2度で、太陽系の惑星の公転面をタテに横切るような軌道を描いている。そのため3月中旬から4月初旬にかけて日没後の西北西の低空にその姿を現すが、近日点を通過した後は北半球からはその姿を見ることはできなくなる。また近日点付近では太陽が邪魔をするため観望はできないことを考えると、4月上旬頃までが観望の好機となる。4月上旬には彗星の観望時間帯には月出前となって、具合が良い。ただし地上からの高度はさらに下がる

さて、どこだったら見られるか、である。揖斐谷のような狭隘な谷筋ではダメで、西天の低空まで見ることができなければならない。金生山は東天は街明かりさえ我慢すれば地平線近くまで見ることができるが、西天は金生山西側の石灰工場が24時間365日操業していて、その西には伊吹山がある。さらに工場稼働の人工光に加えて煙突からの排煙も観望を妨げる

3晩にわたってポンス・ブルックス彗星を追ってみた。結果はどうか
1晩目と2晩目は工場の煙突からの排煙が西の低空に滞留して、晴れていたにもかかわらず星はほとんど見られなかった。最後の晩は上弦過ぎの明るい月が照らし、観望を妨げた。ただ強烈な北風が吹きつけて、煙を南へと押し流すという幸運には恵まれた
上の写真で左下からもやっとした煙が沸き起こっていることがわかると思う。これが工場から出る排煙だが、それにしても月明かりも邪魔をし肉眼または撮影後のカメラのモニターで確認することは不可能に近かった。公道に赤道儀を据えるわけにもいかない。やむを得ずあらかじめ写野を計算して「55mmのレンズの写野左端に木星を入れた場合、右下にポンス・ブルックス彗星が入る」はず、と見当をつけてインターバル撮影を続けた。その結果、上の写真のようにポンス・ブルックス彗星がかろうじて姿を見せた様子をとらえることができた。写真では彗星のコマがエメラルドグリーンに光っていることが分かる

今回は今年10月に訪れるであろう最大の天文ショーを念頭に置いて予行演習の意味もあったが、課題の解決には至らなかった
どうもここからの観望・撮影は無理そうだ


   
写経して見えたり春の箒星  和田悟朗


和田悟朗氏は科学者

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55mm、ISO1600、f2.0、2秒、マニュアルWB、Raw
高感度NRはoff、長秒時NRはoff、金生山
SONY α7RM5 + Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZA

2024年3月18日19時40分











春の大曲線を撮る -揖斐谷-


北斗七星の柄杓の柄の部分をカーブを描いて延長させると、うしかい座の1等星アルクトゥールスに至る。赤みがかって明るく輝くアルクトゥールスは比較的地味な春の夜空に目立つ。さらに上の写真で右下へと伸ばすと、青白く輝くおとめ座の1等星スピカが見つかる。このカーブを春の大曲線という

アルクトゥールスとスピカを一辺とする正三角形の頂点が、しし座の2等星デネボラ。デネボラは2等星だが近くには、ししの大鎌のレグルスの他に1等星はないため正三角形は簡単に描くことができる。ただしこの春の大三角はあまり有名ではないようで、ヨーロッパではデネボラの代わりにレグルスを選択して二等辺三角形を描くのが一般的だという

アルクトゥールスの右上、ししの大鎌に囲まれたところに、もじゃもじゃとした星の集まりがある。まさに見ての通りの、かみのけ座と名付けられている
一見すると地味な春の星たちの世界。春霞が多い季節で、観望を妨げることもその一因なのだろう


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14mm、ISO800、f2.0、40秒、マニュアルWB、LEE SP-31 ソフト №1、Raw
高感度NRはoff、長秒時NRはon、赤道儀で恒星追尾撮影、揖斐谷
SONY α7RM5 + FE 14mm F1.8 GM

2024年3月10日22時53分








冬から春へと 星は巡る -揖斐谷-


今年の3月は寒暖の差が激しくて戸惑う。今朝は一面雪景色だったが、日差しは暖かくて、午後にはあっという間に融け始めた。これが最後の雪だったらいいのだが、このまま春になるとも思えない

22時半頃から西天の星空を撮る。ポン・ブルックス彗星(12P)も、そして春の黄道光も気になる。もっとも12Pは狭隘な揖斐谷では西の低空まで見渡すというわけにはいかないし、春の黄道光が期待できる時間帯は街灯が煌々と照らしている。全く残念という他はない。12Pを観察するには、天候を見て西の低空まで広がるところへ出かけるしかなさそうだ

この夜は新月。珍しく快晴で満天の星空。ただし寒い、寒い。相対湿度が低いため用心さえしていれば結露の心配はなさそうだが、22時で外気温は早くも0℃を下回った。風がないだけまだよい
西の山際にはふたご座の1等星カストルとポルックス。カストルは上の写真では右側にあって青白い。ポルックスはその左にあるやや赤味を帯びているからすぐ見分けられる。ふたご座の左にはこいぬ座の1等星プロキオンが輝いている。右の樹間にはぎょしゃ座の1等星カペラが明るい光を放っている
ふたご座を最後として冬の星座に別れを告げる。ふたご座のカストルとポルックスは東天に出現するときは斜めに順番に出て、西に沈むときは仲良く一緒に沈む。このことに気づいたのはかれこれ20年以上も前。箱根で月没後から薄明が始まるまでのわずかに時間に西天を撮っていた時、夜明け直前の西天に2つの1等星が仲良く並んで沈んでいく様子を見て驚いた

ふたご座の左上には春の星座、かに座がある。4つの星の中にプレセペ星団が密集しているが、かに座に気づくよりプレセペ星団が先に眼に入ると言った方が正しい。かに座の左上にしし座の1等星レグルスが青白く輝く。ししの大鎌と呼ばれる、「?」マークを鏡文字にした星の並びに気づく。このししの大鎌にあって、青白いしし座のα星レグルスと対照的にやや赤みがかった2等星がしし座のγ星アルギエバ。もっともレグルスは全天21の1等星の1つとはいっても、その中で一番暗いので1等星の名で想像するような際立った明るさは見いだせない

     ○

野尻抱影氏は『新星座巡禮』(初出1957年、『新星座巡礼』として2002年に再出版)中の「三月の星」で次のように記している

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樋かけ星

春の南の天頂に近い獅子座の右半分は、西洋の草刈り鎌に似ているので「大鎌」の名があり、その柄先に一等星レーグルスが白光を放っている。こりほど印象の鮮やかな星の群れであるのに、二十年余りかかっても和名発見できなかった。と言って、日本にこの新月に柄をつけたような形に比べられる物は中々見つからないようなので名を附けようもない。ところへ岐阜の谷汲地方でこれを「樋かけ星」と呼んでいると、K君から報告が来て、私は躍り上がった。雨樋を受ける金具の形に見立てたのだ。なるほどよくも考えたものだ。そしてこれも農民が春を代表するレーグルスに注目していたための伝承に違いない。

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ここにあるK君とは旧谷汲村横蔵で教職にあった香田寿男氏のことである

篠田は20代前半の頃に香田寿男氏と会ったことがある。正確には氏の話を聴いたことがある、と言った方がよい
徳山村に暮らした9年間のうち1978年からの5年間、私は塚に暮らし、徳山村立徳山小学校塚分校に勤務していた。その時のことだったと思う
当時の岐阜県揖斐郡は徳山村、坂内村、藤橋村、久瀬村、谷汲村、春日村、揖斐川町、大野町、池田町の3町5村から成っていた。教育会は最初の5村で北部教育会を称し、研修会などを行っていた。ある年の夏期研修会講師が香田先生だった。植物学の専門家として講演は詳細を究め、門外漢の私だったが目が釘付けとなった

後に徳山村を離村した大牧冨士夫さんのところへお邪魔した際に、香田先生の話になった。徳山村史編集の時のことだったか、大牧さんは香田先生の求めに応じて下開田のシッ谷を案内した。道行く片端から植物の名前と生態を説明する香田先生の専門知識の深さに、とても驚いたと話してくれた
香田寿男氏は揖斐川町内にお住まいだったが、自宅を訪ねてもお留守だった。また揖斐川町神原(旧村名は谷汲村横蔵)で教え子を探したことがある。それによると、自宅を離れて他県の施設に入所しておられるということだったが、コロナ禍もあってそのままとなってしまった。今でも心残りのことだった
なお香田寿男氏は香田真弓(香田まゆみ)という筆名を使用していたことがあった。そのため香田氏は女性ではないか、と天文関係の巷間では話題となったこともあったらしい。この辺の事情については稿を改めたい

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14mm、ISO800、f2.0、40秒、マニュアルWB、LEE SP-31 ソフト №1、Raw
高感度NRはoff、長秒時NRはon、赤道儀で恒星追尾撮影、揖斐谷
SONY α7RM5 + FE 14mm F1.8 GM

2024年3月10日23時22分